障害を考える上での生活モデルとは?個人モデルや社会モデルとの違い

障害を考える上での生活モデルとは?個人モデルや社会モデルとの違い


障害者福祉を学んだり考えたりする上で「個人モデル」や「社会モデル」という考え方があります。言い換えると、「障害をどの視点から見るか」ということを学術的に論じるのが各モデルの概念です。

障害を見る視点と言われてもなかなか理解しがたいかも知れませんが、福祉社会全体で考えた時、この各モデルを理解することが障害支援の理解を深める事にも役立ちます。

この記事では個人モデルや社会モデルを一般的な見方で分かりやすく解説します。

学術論文で扱われることが多いテーマのため解釈が難しいと思われがちですが、紐解いて考えれば実は簡単に理解できる用語でもありますので、ぜひ最後までお読みいただければ幸いです。

個人モデルと社会モデルを理解しよう

今回のテーマである「○○モデル」というのは、障害者福祉だけでなく社会福祉全般で使われる言葉で、実際に各福祉士資格を取得する際の試験で問われる内容でもあります。最初に、今回のテーマの基本となる「個人モデル」と「社会モデル」について解説します。

そもそも障害者の「障害」というのは「何が障害」なのでしょうか。日常生活における例を基に、それぞれの意味を見てみましょう。

個人モデルとは?
「ハンデキャップを個人の責任で克服する」という見方をするのが個人モデルです。身体障害者であれば「足が不自由なことが障害」であるとか、聴覚障害者であれば「音が聞こえないことが障害」とするのが一般的な考え方です。これらの障害は、補助具を使うなどで障害を克服することができます。
社会モデルとは?
「誰でも不自由なく暮らせるように多様性に配慮した社会を実現すべき」という考え方が社会モデルです。例えば、足の不自由な人が電車に乗りたくても、駅のプラットホームが地上2階や地下にあったらエレベーターが無いと電車に乗れません。他にも、視覚障害者で信号が青か赤か判断できない場合には音響付き信号が必要ですし、耳が聞こえにくい聴覚障害者が大事な試験でヒアリングテストを受けたくても補聴器がなければ試験を受けることができません。このように、社会側の配慮の無さが障害であると考えるのが社会モデルです。

要は、障害をどの視点で捉えるのかというのが、今回の「モデル」の違いということです。このモデルの考え方を解説する記事の多くは「個人モデルと社会モデル」の違いの説明に留まりますが、実はもう少し細かく分かれています。

医学モデルと治療モデルの違い

社会福祉における「モデル」には、「医学モデル」「治療モデル」という考え方もあります。実はこの2つ、先ほどの個人モデルに含めて広義的に解説されているケースが多いため、その意味を正確に理解している人はあまり多くありません。

では、医学モデルと治療モデルの意味も見てみましょう。

医学モデルとは?
「障害を治療やリハビリによって克服しよう」というのが医学モデルです。つまり、障害による困難は医学的なアプローチで解消すべきという考え方です。個人モデルでも補助具を使って障害を克服できると解説しましたが、これもある意味医学的アプローチとなるため、「個人モデル」の中に医学モデルを含めて解説されるケースが多くなっています。
治療モデルとは?
個人の持つ疾病や症状に合わせて課題や問題、障害を克服しようという考え方が「治療モデル」です。社会福祉において個別の事情に沿って支援を行うケースワークがありますが、特に個別性のある精神障害のケースワークでは治療モデルが主流となっています。その手法が医療的なアプローチに似ていることから、医学モデルに含められることが多いものの、狭義の意味では別の考え方になります。

ここまで、「個人モデル」「社会モデル」「医学モデル」「治療モデル」という4つをご紹介しました。

実は、医学モデルに含まれるのは治療モデル以外にも、「ストレングスモデル」や「ブローカーモデル」といった種類もあります。つまり、福祉に関する研究が進むにつれて、医学モデルがさらに細分化されてきているということです。

障害者に対する生活モデルの考え方

社会福祉のモデルの違いとして、最後に「生活モデル」について解説します。

福祉を様々な視点から見てきて、その概念や定義が理解しづらいと感じる方もいるかと思います。そこで、一旦整理する意味合いで、上記までを大きく2つの定義に分けてみましょう。

個人モデル
医療や治療というアプローチを踏まえて困難の克服は個人の責任で行うべき
社会モデル
障害があっても悩んだり困ったりしないように社会側に配慮の責任がある

大まかにご説明すると、上記の2つを合わせたものが「生活モデル」です。特に日本においては社会モデルを原則とするのが社会美という風潮が一般的ですが、社会側の配慮にも限界があります。

例えば、発達障害者が見ず知らずの人に「あなたは太っているのだから、そんな服は似合わない」なんて言ったら失礼どころの話ではありませんし、仮に障害が原因の発言だと知っていても受け入れ難いものがあります。

つまり、障害者福祉で社会モデルだけを前提としても、受け入れる社会側にも限界があるのです。

上記のようなケースでは、「医療等による社会適応訓練(個人モデル)」「精神障害に関する啓蒙活動(社会モデル)」の2つの要素を合わせて、「障害者本人の努力と支援者による総合的な生活支援が必要(生活モデル)」と考えるのが適切ということになります。

これらは各モデルの違いを解説するための一つの考え方ですが、実際のところ、現在は「個人モデルと社会モデルの両方をもって障害を克服する」というのが障害者支援における主流とも言われています。

規範にすべきはどのモデル?

ここまで解説した各モデルは医療・福祉分野の研究者らの考えが基になっており、あくまで一つの考え方と捉えるのが妥当です。なぜなら、障害とその支援に対する見解や意見は多種多様にあるからです。

社会モデルで障害を考えた時、大多数の健常者の文化に合わせる努力を必要とする「個人モデルを悪」とし、周囲の配慮によって障害者の暮らしやすい社会を作る「社会モデルを善」とする考え方が浸透しています。

ただ、障害者本人の社会参加や自立という観点では、必ずしも社会モデルだけを規範にすべきではないとも言えます。

例えば、足に障害のある人がリハビリを兼ねて階段を利用したいと考えているのに、障害者だからという理由でエレベーターばかりの社会になっていったとしたら、障害者のリハビリの機会を奪うことになります。

また、精神障害に社会モデルを当てはめると、本人の起こす問題行動を障害ではなく「個性」として受け入れる必要があると言えますが、それが本当に障害によるものなのか、本人が悪意を持って行ったことなのか判断するのは容易ではありません。

では、医学モデルを前提にして早期にその障害を克服すればよいのかと言うと、今度は治療費や病院までの交通費という別の問題が発生します。

このように考えた時、どのモデルを規範にすべきと一概に決めるのではなく、個人、医療、福祉、社会のそれぞれが果たすべき役割を認識し、生活モデルのような生活支援を前提とした幅広い視点で考えることが重要と言えるでしょう。

まとめ

各モデルから一つのみをピックアップして福祉全体に適用することは適切とは言えず、総合的な視点で福祉を考えることが重要です。

高齢者介護には医学モデルで対応するとか、健常者と変わりない生活ができる精神障害者には治療モデルを適応するなど、福祉の現場や個々の症状等により、どこにウェイトを置くかというのも大事な考え方です。

障害の有無に関係なく、障害者も人権を有している人間であることを改めて認識し、障害者本人が困難を克服する努力とそれを実現できる社会づくりの両面から考えていくことが、福祉における最終的な課題と言えるのではないでしょうか。

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